最近見た映画『シビル・ウォー』『ハッピーアワー』『アイアムアヒーロー』他
とりあえず見たものについての雑感を残しておこうと思います。
『シビル・ウォー キャプテン・アメリカ』
DIVIDEDなアベンジャーズからキャップが抜けてバッキーと駆け落ち(FALL)っていうのは冗談だけど、本当にアベンジャーズ2.5な感じで『キャプテン・アメリカ』3作目であると同時にマーベルユニバースの世界全体が更に動き始めるという、ここまで付いてきた人には何重にもお得な映画だったと思う。
沢山のキャラクターの感情の線が幾重にも絡まり合うこのストーリーのなかで、僕が最も気になった、というか好みだったのは主人公キャップのものでも相棒バッキーのものではなくて、アイアンマン=トニー・スタークのものだった。正確にはトニーと、ピーター少年が絡まる線。
冒頭でトニーは奨学金制度のプレゼンテーションを行っていたりして、どうもエゴの塊だった自分の半生から卒業し次世代に何らか託そうという気持ちになっているらしい。そんなトニーが新世代の若者として見つけたのが、無私の行いで人々を救おうとする、歴代一ショタっ気のあるピーター・パーカー。この二人の関係性がとても好きだった。
トニーとキャップの間には父子の関係があったと思う。理念的に正しくて、ぶつかってばっかで目の上のたんこぶで、本当のオヤジの友達で、でも普通にアベンジャーズの仲間でもあってっていう複雑な疑似父子関係だ。その関係を一度清算するために、一度DIVIDEする必要があったという側面もあったんじゃないかと思う。そしてその後、子供として本当の父と疑似父との沢山の事情に一応の決着をつけたトニーは、大人として別の子供に自分が得た何かを託そうとしているような感じがする。中盤の山場であるオッサンと若者のダブルルーキー大活躍な大混戦のあと、ぶっ倒れたスパイディを本気で心配するトニー/ダウニーの表情が凄くよかった。あれはお父さんの顔だったと思う。
つまりどうにも父のフェイズに移行しようとするトニー・スタークの映画に見えて仕方なかったのだ。
スパイダーマンの新作『ホーム・カミング』はトニーも出るって言うし、本当に楽しみ。あ、あとアントマン最高。
大学の方で最近、ニューディール政策以降のポピュリズム(人民主義)やその時代のフランク・キャプラ『スミス都に行く』からの流れから見るサム・ライミ版『スパイダーマン』シリーズという文脈について教わっていて、そういうポリティカルな方面もキャップシリーズの流れを見るにちゃんと抑えてそうだから楽しみではある。でも何よりショタっ気スパイディが見たいのだよ。
『ズートピア』
僕は人種の違いや性差のあるコンビ、つまりかつてあった、あるいは今も何処かで軋轢のある「種族」であるはずの二人が、軽妙でどっか洒脱なかけあいを見せてくれると自動的に完全に幸せになる良い病気を持っていて、そうなると『リーサルウェポン』とか『ダーティハリー』とかがホントに最高になってくるし、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』もコンビどころじゃないけど大好きだった。
だから『ズートピア』は本当に好きだった。プロローグすら覚えてられないヤツの世界観への難癖とか本当にどうでもいいよ。くだらない。
シリーズ化、絶対して欲しい。
『ハッピーアワー』
ようやく見た5時間超の濱口竜介監督の話題作。4人の30代後半の女性たちを中心にした悲喜こもごも、だなんて言葉じゃ片付けられない膨大で最高な細部がギチギチに詰まったドエライ映画。
関係ないけど最近友達にすすめられて矢内原伊作の『ジャコメッティ』を読んでいて、そこに描かれているものなかに、フランス、パリのアトリエを訪ねた矢内原さんの顔を一生懸命に描こうとするジャコメッティの姿がある。何日もかけて何度描いても「違う」「そうか、発見したぞ」「違う、絶望だ」「これまでの全ては今朝のためにあった」「駄目だ」という失敗と発見の繰り返しで、稀代の芸術家ジャコメッティの「真に対象を描くこと」という到達不可能かも知れないものに対する鬼気迫る執念が矢内原さんの落ち着いた筆致で書かれている。
なんだかそんな本を読んでいるときにこの映画を見てしまったから、こじつけかも知れないけど、ジャコメッティと同じような、表面しか見えない視覚では捉えがたい内容物を抉るように、表層を描く/撮るという途方もない意識を見てしまった気がする。
何しろこの映画は五時間超もある。主要登場人物たちはそんな長い時間のなかで小さな嘘や変な告白や罅が入った家族の問題やら性愛やらの影響でほんの微妙な表情の変化を幾度となく繰り返していく。それぞれの多様な表層をあらゆる側面から見て、もう何もかも知っているような気になったと思ったら、次の瞬間にまた意外な行動を取ったりして、でもその意外な行動は完全に納得できるものでもあったりする。
印象的だったのは「言ったら、嘘になっちゃう場合もあるでしょう」みたいな台詞。最近、大江健三郎の『万延元年のフットボール』で引用される谷川俊太郎の詩『本当のことを言おうか』っていうのがずっと引っかかっている。この小説のなかで、というかたぶん大江さんの小説のなかで往々にして何らか奥深い傷を負っている人は「本当のこと」は言わないし言えない。でもそこに肉薄するために言葉も表現もある。
この映画が本当に好きだったのはそのあたりで、本当のことを言うことや相手を理解すること、嘘をつかないでいること、大事な相手の求めることを全てやること、その絶対的圧倒的不可能性とままならなさを完全に突き詰めて描き切ったあとで、それでもこの4人のおばさんたちはこれからも色々あってまだまだ友達だろうなきっとっていう未来を予感させる。
見てまだ24時間くらいだからこれからどんどん思い出してきそう。メインの4人だけじゃなくて他の人たちも異常にビビッドでキャラとして捉えきれない人間ばっかなんだよなぁ。
コナンの映画を劇場で久々に見たけど本当に面白かった。本編をしばらくちゃんと追えてない身だけど、冒頭からフルスロットルなアクションと大がかりな舞台仕掛けで映画!って感じがして本当に好き。あと逆襲のシャアでJUST COMMUNICATIONだった。
『レヴェナント 蘇りし者』
レオ様の演技はいつだって最高で物語に破綻は全くなく、最高の撮影技術が捉えた荘厳な自然の映像をそれに上乗せしてハイどうぞって出されて、どうしてこんな哀しい気持ちになるんだろう。凄くゴージャスな映画なのに辛かった。『X-MISSION』が見たい。『X-MISSION』を見せてくれ。おい。
『クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃』
三原さんのデザインした夢世界の極彩色の暗黒っぷりも素晴らしくて、芸能界ギャグも冴えわたってて好き。とにかく明るい安村史上最も楽しい安村を見た。でもこの人フライデーされたんだよね。主題歌はダメでそれは良いのか。良いか別に。
ただ、これは他の方も指摘していたけど、最後の決着のつけ方が唐突のような気がしてる。確かに春日部防衛隊の世界と野原一家の世界は絡ませづらいんだけど……。
『海よりもまだ深く』
家庭内と周囲との関係に難易度の高すぎる問題がある環境で育ったので、団地という強制的に周りに話す相手がいる居住空間に憧れがある。まぁ、そう良いものでもないだろうけど、憧れは憧れだ。そんな憧れの団地の、特に美化したから現れ出たわけでもなさそうな魅力的なところが沢山出てきた。
家のなかで常に誰かがしゃべっていて、それを絶対に誰かが聴いている。とにかく狭いから、誰かが行動を起こす例えばお婆ちゃんが冷蔵庫を開ければその前に座ってた姉ちゃんは背中まげて避けないといけない。狭い環境って誰かがいればそんなに貧しいものでもないよなぁ。樹木希林さんがお婆ちゃん役だからそう思ったのかな。達人だから、あの空間を最大限豊かにする動きも喋り方もわきまえてそう。
数年前に『みなさん、さようなら』があって、もうすぐ『団地』がある。団地は本当に面白いなぁ。
大泉洋も長澤まさみも有村架純もドランク塚地も全員みんな本当に全力で役者として生きようと覚悟持って踏ん張っている感じが、映画のなかで描かれる死に瀕した人たちの生命力に還元されているように思った。ゾンビ映画の人間役にやる気のないやつはいちゃいけないんだ。
そしてこの映画で本当にゾクッとして未だに脳裏から離れないのは、閑静な住宅街が閑静なままにパニックが染み渡りゆくあの一連。あの混乱寸前、秩序と無秩序のボーダーラインの情景は本当に素晴らしいの一言。