未確認で進行形で備忘録

映画とかアニメとかについて書きます 連絡先⇒ twdkr529@yahoo.co.jp

アニメレビュー勉強会に提出した『ラブライブ!』原稿

 どんな会なのかなと気になって、4月30日に行われた藤津亮太さん主催のアニメレビュー勉強会に行ってみた。

 事前に提出した原稿を各自で読んで点数をつけて、藤津さんが中心となって講評する。僕のはたぶん4位くらいだったと思う。なかなかくやしい。レビューのフォーマットの違いも面白かったし、そのあとの打ち上げも滅茶苦茶たのしかった。色んな人生があるんだなぁというフツーのことをツヨク思った。

 『ラブライブ!』の映画はこのために見たんだけど、正直あんまり好きにはなれなかった。でもその好きじゃなさを面白く書く技術もない。ならば正攻法しかないじゃないと思い、締切ギリギリになってから必死で自分を洗脳し、3時間だけ史上最強のラブライバーになったつもりで全ての偽装愛を原稿にぶつけた。でもそんな感じでも書いてる最中はホントに好きな気持ちを心のなかに確認する瞬間もあったりして、今もちょっと好きな感じになってたりする。自分の書いたものに影響を受けるっていうやつ。

 そうして出来上がった原稿、「キャラクターに寄り添っててラブライブ!が好きなんだなと思った」という感想を貰って「しめしめ」って感じだったけど、あとで致命的なミスを指摘された。「穂乃果」の「果」の字を全部「花」って書いてたのだ。ボロが出るってこういうことを言うんですね。

下のはその原稿。「花」は「果」に直してあります。すまねぇラブライバーたち。今はこの映画ちょっと好きです。

 

タイトル:「明日に向かって跳べ!」   想定媒体:映画雑誌のアニメ特集

  時と場所に関係なく、自由に元気に歌って踊る、スクールアイドル「μ’s」の笑顔。学校、秋葉原、ニューヨーク。スクリーンに映されるすべての空間が、彼女たちのステージになる。

 MVに誌上企画、そして二度のTVアニメ化と、メディアの枠を跳びこえて、すべてを自分たちのステージに変えてきた「μ’s」の面々。そんな彼女たちの新たな、そして最後のステージがこの映画『ラブライブ!The School Idle movie』だ。

 廃校の危機、友情の危機、グループの危機。様々な危機を乗りこえて、固い絆で結ばれた高坂穂乃果の率いる「μ’s」は、ついにスクールアイドルの甲子園「ラブライブ!」での優勝を果たす。しかし女子高生である以上避けられない、3年生の「卒業」という終わりを目の前に、穂乃果たちは「μ’s」の解散を決定する。そんな解散間近のスクールアイドルたちに依頼されたのは、次回ラブライブ!大会への協力、そのためのニューヨークへの旅立ちだった。

 空港から飛び立つ飛行機を眺め、目を輝かせた穂乃果が言う。「私たち、行くんだね。あの空へ。見たことのない世界へ!」。見たことのない世界へ飛ぶ――跳ぶこと。この台詞がアバンで描かれる幼少期の記憶、笑顔で水たまりを跳びこえる穂乃果の姿と重なって、映画は一貫したテーマを提示する。卒業という終わりを新しい始まりに変えて、次のステップへ跳びだすこと。シンプルだがこれ以上なく力強い一つのテーマ。しかし、そのステップはどこへ向かって、どんな風になされるのだろう?

 ニューヨークでのライブに最適な場所を探す観光のさなか、他のメンバーとはぐれてしまった穂乃果は、路上で歌う謎の女性シンガーと出会う。穂乃果をホテルへ送る途中、過去の自分にアドバイスするように意味深な言葉をささやく、どことなく穂乃花に似た女性。仲間たちのもとに穂乃果を送り届け、忽然と姿を消してしまった彼女は、一体何者なのだろう。もしかして未来の穂乃果……なのだろうか。

 そして帰国した彼女たちを待っていたのは、たくさんの新しいファンだった。ニューヨークでのライブが評判を呼び、スクールアイドルという形をやめてでも「μ’s」が存続することを求める声がだんだんと強くなる。

 今後についてまた悩みはじめてしまった穂乃果は、ニューヨークにいたはずの女性シンガーと再会する。気が付くと周囲は花びらが一面に舞い、目の前には湖のひろがる幻想的な空間となっている。湖の側にたたずむ女性が穂乃果に語りかける。「跳べるよ。いつだって跳べる。あの頃のように」。走り出した穂乃果が、女性の横をすりぬけて、跳ぶ。

 次のカットでは自室で起床する穂乃果が描かれる。なら、あの女性と穂乃果がいた幻想的な空間は夢だったのだろうか。おそらく、それはどちらでもないのだろう。たとえばあの空間を、たびたび挿入されるミュージカルパートと同じ飛躍として見るのはどうだろうか。ストーリーの進行中にキャラクターたちが踊りだし、歌が始まる。アニメーションの特性を生かした目まぐるしいカットの切り替わり、舞台の転換、衣装チェンジ。ここでの世界の法則はリアリズムから大きく離れていながらも、同時にしっかりとストーリーの一部に組み込まれている。リアルと幻想の狭間にある、曖昧な劇空間。それを許容するのがアニメ『ラブライブ!』の世界なのだ。だからあの女性も、あの幻想的な空間も、決定不可能な曖昧なものとして存在できるのではないだろうか。

 あの女性は未来の穂乃果なのかも知れないし、そうではないのかも知れない。一度目は現実で、二度目の出会いは夢だったのかも知れない。穂乃果は将来、歌手になるかも知れないし、そうならないかも知れない。曖昧な描き方で解釈は大きく広がって、それはそのまま穂乃果の未来の可能性となる。

 結局「μ’s」のメンバーは解散し、それぞれ「見た事のない世界へ」跳ぶことを決める。

 TVアニメからこの劇場版に至るまで、頻繁に描かれてきた穂乃果のダッシュと、彼女が引っ張ってきた「μ’s」のダッシュは、「見た事のない世界へ」跳び立つための助走になる。ニューヨークという場所もステージに変えた彼女たちなら、跳び立つ先がどこであろうと大丈夫。この確信を曖昧さのない揺るぎないものとして観る者の心に刻み込んで、映画と「μ’s」のライブは幕を閉じる。