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3DIMAXで『ザ・ウォーク』を見た。


映画『ザ・ウォーク』予告2 2016年1月23日(土)公開

主人公のフランス人の大道芸人フィリップ・プティワールド・トレード・センターのツインタワーにワイヤーをかけ、その上で綱渡りする。ただそれだけ、言ってしまえば本当にそれだけの映画なのだけど、沢山の尋常でないことが起こっている、気がした。

男が英雄になる、ただそれだけの話じゃない。

NYを一望できる自由の女神像の上から、スクリーンを見上げる観客に語りかけるジョゼフ・ゴードン=レヴィット演じるフィリップ。フランスに産まれ、サーカスに惹かれ、大道芸を志し、綱渡りに取り憑かれ、やがてツインタワーという夢の「舞台」を見つけ、たくさんの仲間を取り込みながらその夢を達成するまでを、情感たっぷりに語っていく。その語りは「ナレーション」というより「プレゼンテーション」。ストーリーのための「語り」ではなく、スクリーン上で演じられる全てを「見(魅)せる」ための「語り」。演目を高々と謳いあげるサーカス団長のように、見世物をより魅せるために、フィリップはそこに立っているように見えた。

そうしてプレゼンテーションされる映像は確かに圧倒的だった。

綱渡りという芸術にすべてを捧げるフィリップの周りに仲間が集まり、前代未聞の挑戦に協力しそれを準備する過程、あるいはたった一人の男の夢または狂気の渦に巻き込まれていく過程は、ゼメキス演出による強靭なトルクで進行していく。

そしてなんといってもクライマックス。ツインタワーでの綱渡り。

感動したというだけでなく、スリリングというだけでなく、何か不思議な感慨を抱いたのは、このクライマックスの映像が、単にフィリップの夢の達成というストーリー上の意味だけを持っているようには思えなかったからだと思う。フィリップは劇中、ことあるごとに綱渡りを「芸術」と称してきた。そして究極の「芸術」はツインタワーでついに果たされる。地上からそれを眺める観衆の記憶にその姿を焼き付けることで、フィリップの数分間の「芸術」は完成する。そしてその「芸術」の完成を、映画の観客は「見世物」として見ている。

これは映画であり、映画は元来「見世物」である。しかし(映画自体が「芸術」でもあり得るし)、「芸術」的行為をニセモノとしてでも再現しうる。

この映画で描かれるツインタワーはすべてデジタルで作りあげられた虚像で、フィリップは実際にそのロープの上を渡っているわけじゃない。そんなことは誰でもわかっている。しかし、それでも、とにかく肝の冷える映像体験だった。「すべてがデジタル、すべてがニセモノだとわかっていても」、僕の肝はここで冷える。ここで映画の最先端を見据えつづけたゼメキスによる技術的達成が示されたように思う。現在の映像技術に可能な最高級の見世物を見せつけられた気分だ。

そしてもう一つ。この映画のなかで再現されるフィリップの「芸術」が何をなしたか、ということ。綱渡りという「芸術」はツインタワーを端的な「舞台」に変える。今の時点から見て、ツインタワーという建造物が観客に想起させるものは何だろう。少なくとも僕にとってそれは、グローバル経済、テロ、イラク戦争のきっかけだ。資本主義、政治、戦争、ナショナリズムなど、種々のイデオロギーが詰まった箱だ。しかし、フィリップの「芸術」はツインタワーをそういったイデオロギーのすべてから解放する。数分間の手に汗握る綱渡りの映像を見ている間、そのツインタワーはロープの端と端を固定する巨大な柱、そしてフィリップにとってのこれ以上ない「舞台」でしかない。

場の属性を変える綱渡りという芸術。その芸術をスリリングに魅せる見世物としての映像。「見世物を芸術と騙る男の物語を語る見世物としての映像をプレゼンテーションする男の映画」という入れ子仕掛け。

そうしてストーリーの顛末を語り終えた自由の女神像の上のフィリップは、切なげな表情でフェードアウトし、背景のデジタルNYだけがスクリーンに残る。ツインタワーという夢の跡がまだ残っているニセモノのNY。画面はだんだんと暗転していくが、ツインタワーだけは最後の瞬間まで灯篭のような灯りを放ち、そして消えていく。この素朴な幕引きによって、この映画は倒壊とそれにまつわる悲劇の数々、という大仰な語りから逃れているように思う。フィリップという一市民、その場所に特別な想いを持った個人の哀悼、「夢の跡地がもうない」という個人の落胆、個人の寂しさを表現しているように見えた。

映画は、舞台となるその場所に宿っているはずの歴史的事件性の圧力やイデオロギーの吸引力を逃れて、「フィリップの物語」として終える。劇中語られる通り、綱渡りにおいては最後の数歩、緊張がゆるむ一瞬に死神がいる。ゼメキスもまた、物語を別方向に雪崩れさせる最後の死神を回避して、綱渡りを成功させたのだろう。