未確認で進行形で備忘録

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コバヤシオサム監督の『NARUTO疾風伝』が凄かった

 見慣れた風景や何処にでもありそうな景色を映しているのに、そこに全く知らない空気や風が流れているのを見ると、途端にそこに「映画」を感じる。黒沢清の映画もそういう楽しみが何処かにある。同じように、普段TVシリーズで見ていた風景やキャラクターたちが映画のスクリーンで別様の時間と空間のなかで息づくのを見ると、そこでもまた「映画」を感じる。細田守デジモン二作や山内重保の『黄金のデジメンタル』、または『ディアボロモンの逆襲』もそういう「映画感」があった。
 NARUTOで言うなら『雪姫忍法帖』や『THE LAST』などがそれに当たる。
 例えば『THE LAST』では小林常夫さんという普段のTVシリーズにはあまり参加していなかった監督が、すでに完成された世界観を舞台に映画を作る。その時、別の角度で切り取られたいつもの風景、知らない空気をそこに感じることが出来る。木の葉の里のBGオンリー、スクリーンの大半を占める夏の空、セミの声。この平凡なようで意外と見たことのなかったアバンのカット一つだけで、「映画」を見ている感じがした。
 それと同じような感慨を、『NARUTO疾風伝』新シリーズ第一話を見て抱いた。
 699話でTVシリーズを14年間監督した伊達勇登さんは一旦NARUTOから引退(本当にお疲れ様でした)、コバヤシオサムさんが新シリーズの監督に就任した。今後は小説の内容をアニメ化する様子。そんなコバヤシオサムさんの『NARUTO』アニメが素晴らしいのだ。
 第一話「NARUTO/HINATA」はナルトとヒナタ・ネジの幼少期をそれぞれAパート、Bパートを使って描いている。
 家族もおらず、周囲から疎まれているナルトが、独りぼっちで四代目の顔岩のうえに座り、秋空を眺めている。この、一瞬で「秋空」だとわかる空気の演出が際立っている。高くにある大きな雲と、吹き寄せる風の音響。
 劇伴は最小限に抑えられ、それにより里の生活音がクリアに響く。そして同時にナルトへの誹謗もはっきりと聞こえる。整えられた音響演出が鋭利に伝える幼き日のナルトの孤独。刺すような残酷さを感じさせるその澄んだ演出は、後半の三代目の爺ちゃんとナルトの会話の暖かさを、その温度ごと伝えてくれもする。ヒナタの孤独を描くBパートでもそれは同じだ。無音の雪景色のなかで佇むヒナタのカットが忘れられない。
 コバヤシオサムさんの空気が見慣れた風景を包むこの新シリーズは、『THE LAST』を見た時のような「映画感」を与え続けてくれそうで、今後の『NARUTO疾風伝』が更に楽しみになってくる。

 

 あ、前回に続いて西尾鉄也作監のOPも最高でした。伊藤秀次エフェクトの千鳥もイカす。

最近の写真

宮城に行ったりしてました。仙台に松島、秋保など。海も緑も綺麗なところでした。

 

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何度も見直したTVアニメベストエピソード10選

 ぎけんさん(@c_x)のマイベストエピソード企画に参加させていただきました。ルールを以下にコピペさせていただきます。

 

◆ マイベストエピソードとは?

「作品としてはベストに選ばないけど好きな話数」をコンセプトに、アニメ作品の好きな話数を選出し紹介する企画です。
※ コンセプトは強制ではありませんので気楽に考えてください


◆ マイベストエピソードのルール

・ 劇場版を除くすべてのアニメ作品の中から選出(配信系・OVA・18禁など)
・ 選ぶ話数は5~10個(最低5個、上限10個)
・ 1作品につき1話だけ
・ 順位はつけない
・ 自身のブログで更新OK(あとでこのブログにコピペさせていただきます)
・ 画像の有無は問わない
・ 締め切りは8月末まで

 

 僕は10個のエピソードを選ばせていただきました。以下、本文でございます。

 

戦国コレクション COLLECTION7 『Refined Bird』

脚本 待田堂子 絵コンテ 後藤圭二 演出 日巻裕二 作画監督 石井久

 美少女になった戦国武将たちが現代世界で生きる姿を、オムニバス形式で描くアニメ戦国コレクション。各話それぞれ別の映画をベースにした物語作りが特徴的なシリーズです。さて、どんなセリフも5・7・5で喋る芭蕉ちゃんこと松尾芭蕉(早くも戦国武将じゃない)が主人公のこの回の題材はドイツ映画『バグダッド・カフェ』。
 部隊は鎌倉(?)、停滞した雰囲気の漂う「さいはてカフェ」。セピアがかった色調の似合う、くたびれた雰囲気の女主人とその娘、カフェに居ついた人々。そこに流れ者の芭蕉ちゃんがやって来て、日常が気だるいままにちょっとだけ活気づき、停滞していた日々が動きだす、という話。ダンサーを目指すオカマさん、絵描きを志す青年、男運の悪い女主人など一癖ある人たちと芭蕉ちゃんの対話の不思議な感触。
 俳句がカフェに集う人たちの生活に浸透して関係性の媒介になっていくプロセスは、そうそう詩や歌ってそういうものでもあるよなぁとしみじみ思わせてくれる。そしてこの話が何度でも見れてしまうのは、淡い色合いの映像や穏やかに進展する話が心地いいというのもあるけれど、芭蕉ちゃんの繰り返す5・7・5調の韻律としての完成度が高いからというのもあるのかも。
 映像だけじゃなくセリフのリズムについてもじんわり色んなことを考えてしまうエピソードでした。

 

R.O.D-THE TV- 3話『神保町で逢いましょう』

脚本 倉田英之 絵コンテ 舛成孝二 演出 細田直人 作画監督 細田直人

 1話の『紙は舞い降りた』と2話の『ダメ人間ども集まれ』とこれで悩んだけれど、今回はこっち。
 ついに同居を開始した全員必ず何処かしらダメな菫川ねねね+紙姉妹3人娘。完成されたぐうたらコンビネーションで序盤から高出力のダラダラぶりを見せてくれます。起床、朝ごはん、食後のボケっと休憩タイム、寝床を作るための大掃除、という前半のザ・生活といった描写の魅力的なだらしなさ。
 そして後半の神保町探訪。倉田と舛成が組んで3人娘を描けば必ず一人は紛れ込むマイルド外道なトリックスターかみちゅ!では三枝祀)、紙姉妹の長女ミシェールさんのだらしない探訪っぷりが本好きの理想という感じでたまらない。
 呑気なBGMに脱力した動き、緊張感ゼロなセリフ回し(でも意外と話は動いてる)。こうやって生きていたいという気持ちでいっぱいになる大好きな1話でした。

 

かみちゅ! 10話『君に決定』

脚本 倉田英之 絵コンテ こだま兼嗣 演出 高島大輔 

 神様だけに全部神回な『かみちゅ!』だけど、ふと見直したくなるのはこの話。
 いつもの三枝祀の策略で生徒会長選挙に立候補することになったゆりえ。欲望うずまく選挙の渦中でゆりえは神さまの威厳を保つことができるのかって話では全然なくて、この回の主人公はむしろゆりえの幼馴染、四条光恵さん。欲望に忠実な祀とマイペースなゆりえをまとめる保護者役である彼女の、優しい側面がクローズアップされる。
 買収・詭弁・プチ暴力のゴーインでマイウェイな選挙戦略に打って出る祀にやんわりとツッコミを入れながら、勢いに流されてなんとなく応援演説をすることになってしまった光恵さん。一番近くでゆりえを見てきた彼女の気持ちがこめられたその演説は、峯香織さんの声調も相まって、じんわり胸に沁みわたって来る……。おだやかな言葉と声の威力、光恵さんの母性あふれる表情、シンプルだけどしっかりとした強度を持つ大好きなシーンです。
 同じくらい好きな12話、14話と悩みました。というかかみちゅ!はもう全部が好き過ぎて困ります。

 

爆走兄弟レッツ&ゴーWGP 51話『栄光のゴールをめざして』

脚本 星山博之 絵コンテ・演出 玉田博 作画監督 高田明

 ミニ四駆世界大会を描いたWGP編の最終回。三日に分けて行われた優勝決定戦、超ロングランレースの決着。
 ホビーアニメ特有の派手な必殺技の影は薄く、ただゴールを目指して走る少年たちの姿が淡々と描かれていく……これが半端ではない感動を与えてくれる。セリフと細かな演技に現れるチーム内のコンビネーション、敵味方の垣根を越えた奇妙な信頼、そして成長したマシンと心。それらが積み重なって、あとはただゴールへ向かうだけというシンプルなレースが圧倒的なグルーヴを生んでいく。一年間のシリーズでなければ生まれない感動です。ラストスパートの興奮は忘れられません。

 キャラクターにしっかりと寄り添う痩躯ながら骨太な脚本は故・星山博之さんによるもの。この最終回に挿入されている子供たちを見守るチームの監督=大人たちの会話には、銀河漂流バイファムにも通ずる星山さんの子供たちへの暖かい目線が現れている気がします。

 

メダロット 51話『夢の途中』

脚本 山口亮太 絵コンテ・演出 岡村天斎 作画監督 鈴木博文

 最終話のひとつ前。
 メダルを内蔵したロボット、「メダロット」をめぐる謎がついに明かされ、物語はSFの次元に突入。子供のスケールを越えた世界の物語に突然放り込まれた主人公イッキとそのメダロットメタビーはどうなってしまうのか、という話。
 少年たちの友情を危機に陥れるためには、少年たちの論理が通用しない世界へ彼らを突然に置けばいい。ちっぽけな二人の関係を覆い潰すほど大きな流れのなかに置かれて、それでも彼らは友達でいられるのか?という問い。そこで単に「俺たちは友達だ」と言うだけは不十分で、彼らにしか出来ない仕方で、それを提示しないといけない。
 メタビーは夢のなかでメダロットにまつわる巨大な歴史と悲惨を追体験し、疲れ果てる。そこにイッキがやってくる。イッキを拒絶するメタビー、喧嘩する二人……ここからの二人の「友情の確認」の流れは、個人的にベスト・オブ・山口亮太なセリフの応酬。竹内順子さんと山崎みちるさんの声の演技がそれに応えて、二人の関係の強さを引き立たせます。
 岡村天斎監督による夢の世界の画面作りと、鈴木博文さんの人間だけじゃなくメダロット(鼻も口もない)の細かい表情を拾う作画も最高です。

 

舞-乙HiME 17話『蒼の舞/想い、散るとき』

脚本 吉野弘幸 絵コンテ 須永司 演出 長井龍雪 作画監督(キャラ)久行正和 (メカ)大塚健

 前半のガルデローベ学園での平和な日々から、激動の後半戦へとなだれ込む決定的な一話。
 吉野弘幸さんは色々と毀誉褒貶のあった故・両澤千晶さんへの尊敬の念をたまに語っているけれど、この話を見るとそれも「なるほど!」と納得できる。一つの出来事をきっかけに友情が憎悪へと一瞬で変貌し、物語が一気にピークへ到達するという、ガンダムSEEDのキラVSアスラン回『閃光の刻』を彷彿とさせる展開。
 着実に用意してきた伏線要素を拾っていきながら、それぞれの思惑が交錯し一気に爆発する「場」を作る構成の上手さ。舞-乙HiMEでは最終回やS.iflの3話『私は生きたいのよ』も大好きなのですが、初見時にドキドキハラハラした記憶からこの回を選びました。
 キャラクターの処理しきれない感情を物語の推進力にした場合の吉野弘幸は強すぎる。

 

機動戦士ガンダム00 Second Season 1話『天使再臨』

脚本 黒田洋介 絵コンテ 水島精二 角田一樹 演出 角田一樹 作画監督 千葉道徳 メカ作画監督 中谷誠一 阿部邦博

 ガンダムから一本。基本的に全部が好きというのもあって、中々この一話が好き!とはいかない、という感じのガンダムシリーズなのでけど(シリーズとしては『∀』が一番好き)、そんななかでもこのときの高まりは尋常じゃなかった、という1話がコレ。
 1stシーズン最終回から半年の間を空けてついに始まった2ndシーズン第1話は、冒頭からフルスロットルで突き進む黒田洋介の筆が乗りに乗った熱い展開。5年の時を経て立場も状況も変わった人物たちの高密度な点描。そしてこの回でだけエンディングとして流れるオープニングテーマ『儚くも永久のカナシ』の曲と映像の疾走感も相まって、半年間で爆上げした期待値をさらに越えていく勢いなのでした。
 さらにボロボロのガンダムエクシアリペアや建設中のコロニー、高重力下でスニーキングを行う刹那など、ビジュアル面でも即物的に興奮してしまうハードなSF要素がたくさん。千葉道徳さん特有のキャラクターの美麗な「皺」も堪能できます。
 作品としては大好きではあるけど色々と思うところもある『00』ですが、この1話初見時の思い出だけでずっと好きでいられるなぁという回です。

 

 

NARUTO-ナルト- 133話『涙の咆哮!オマエはオレの友達だ』

脚本 隅沢克之 絵コンテ・演出・作画監督 若林厚史

 それまではボケっとアニメを見ていただけだった引きこもりのガキ(僕)を、「作画」とかいう概念でブン殴って何かに目覚めさせた1話。たぶんその前の若林厚史回『蘇れ写輪眼!必殺・火遁龍火の術』も『古今無双!「火影」というレベルの戦い』も見ていると思うのだけど、サスケ奪還編のドラマとしての盛り上がり、第一部ラストバトルとしての期待が、初見時の衝撃を忘れられないものにしたのだと思う。
 NARUTO特有の術のギミックをフル活用したアクションが素晴らしいのは勿論なのだけど、そのアクションがキャラクターの感情と性格にしっかり結びついているのが素晴らしい。影分身(後にサスケはナルトの孤独を象徴する術と看破した)の物量でしつこくサスケを捕らえようとするナルト、写輪眼で見切りかわしていくサスケ。さらに九尾の力で猛追するナルト……意地と執念のぶつかり合いのドラマとアクションがしっかりと融合しているのがたまらない。ビデオが擦り切れるまで見返した思い出。
 NARUTOでは疾風伝『告白』『四代目火影』『うちはマダラ』、イタチ真伝『月夜』などのなかでどれを選ぶか迷いました。

 

DARKER THAN BLACK-黒の契約者- 23話『神は天にいまし…』

脚本 大西信介 絵コンテ 京田知己 演出 安斎剛文 作画監督 長谷部敦志 小平佳幸(作監協力)

 2話で1エピソードの構成だった物語が、最終章として連続しクライマックスへと進んでいく、その始まりの1話。
 「本物の星」にまつわる話を集める探偵とその助手。大西信介さん回にしか登場しないこの二人が、黒の過ごした東京の街を歩き、そこに住む人たちから話を聞いていく。この話、ある人の微笑みが他の人へとわざとらしくなく伝染っていく細かい表情の変化の具合がとても好き。「ほどほどによそよそしくて、ほどほどにあたたかい」という黒の言葉通り、何処かピリピリした雰囲気が漂う「偽物の星」の下の生活でも、皆ほどほどに笑って生きている。そんな人々とのほどほどによそよそしくてほどほどにあたたかい思い出が、最終回の黒の選択に影響していくという、最終章の始まりにふさわしい1話。
 人間味ってなんだろうなという気持ちになるDTBシリーズの、個人的には中核にあるエピソードです。

 

鋼の錬金術師 51話『ミュンヘン1921』

脚本 會川昇 絵コンテ 水島精二 安藤賢司 演出 安藤賢司 角田一樹 作画監督 伊藤嘉之

 構成からセリフまで全部がカッチリ決まった最終回で、これ以上の終わり方はないんじゃないのとなるくらい、個人的には完璧なラスト。『ミュンヘン1921』というテロップが浮かび上がり画面が暗転していくところのクールさといったらない。
 エドを想うアルの選択。アルを想うエドの選択。その結果を見た父ホーエンハイムの言葉。一つ一つのセリフが兄弟とほかの皆の一年間の旅の集大成でもある。大きなアクションはなく、感情のぶつかり合いもない。それぞれが導き出した答えへとただ進んでいく……すごい。
 二人が電車に乗って車窓から手を伸ばす、というラストシーンもたまらない。電車と線路という何処までも続く旅を象徴するモチーフはOP3とOP4にも出てくるし、FULLMETAL ALCHEMISTのOP2にも出てくる。もちろん原作の最終回でもエドは最後に電車に乗る。ハガレンの物語にとって実はとても大事なものなのかも。
 蒸気機関という意味ではそのまま劇場版のアバンへと繋がっている……というのは今思いつきました。

 

まとめ

 「何度も見直したもの」というテーマでベストを選んでみました。中毒性の高いエピソードや瞬間風速の高いエピソード、思い出深いエピソードなど。頑張って選んでみたらうっかり作品としても単体のエピソードとしても大好きなものばかりになってしまいました。すみません。
 こうして選んで改めて眺めてみると自分の趣向がよくわかったりしてとても面白かったです。積み重ねを感じるものに弱い!普通にベーシックな盛り上がりに弱い!

 参加を許していただいたぎけんさん、楽しい時間をありがとうございました! 

最近の写真

最近撮った写真のなかで、まぁマシかなってやつとか綺麗かなってやつを。

こうして並べると角度とか大体同じですね。馬鹿の一つ覚え。

 

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NARUTOアニメが終わりそう

 NARUTO疾風伝の公式HPに西尾鉄也氏のイラストが掲載された。終末の谷で向き合うナルトとサスケ。下部には『LAST BATTLE』とある。アニメNARUTOのキービジュアルは劇場版のものを除いて基本的にもう一人のキャラクターデザイン鈴木博文氏が書いているだけに、余計に特別さが際立つ。
 たぶん、NARUTO疾風伝の終わりが近い。
 原作はとっくに完結し、その先を描くTHE LAST、そして次世代を描くBORUTOがとっくに公開されているにも関わらず、TVアニメシリーズ疾風伝は様々なオリジナルシリーズを挟んで今まで続いてきた。たぶん第四次忍界大戦最後の一日を2、3年かけてやっている。それが悪いと言っているわけではない。
 例えば無限月読の夢のなかで綱手が読む自来也の小説の内容(入れ子すぎる)を描くオリジナルシリーズ『自来也忍法帖~ナルト豪傑物語~』は、ナルトの父である四代目火影も母クシナも生きておりイタチによるうちは虐殺も起こっていない世界、つまり主人公二人の生きる動機そのものが全く違う世界をIFストーリーとして描く冒険的なシリーズである。キャラクターの見慣れたデザインと何処か違う動機の齟齬が目新しい効果を生む不思議な面白さがあった。
 『イタチ真伝~光と闇~』はうちはイタチの幼少期からその人生を追うシリーズ。戦争で沢山の死を見た直後に、弟の誕生に立ち会う。孤独な天才が少ないながら仲間と出会い、失って、その哀しみが力になってしまう悲劇の血と一緒に生きていく。死を最小限にし、そして弟を守るためにすべてを捧げた男の一生は、父との確執、葛藤、そしてうちは虐殺を丸ごと描く傑作『月夜』(コンテ演出作画、むらた雅彦)でピークを迎える。
 最近では六道仙人の回想から始まったNARUTO世界の因縁のすべての発端を描く過去編があった。カグヤの地球来臨と息子である仙人ハゴロモとハムラとの闘い、ハゴロモの息子アシュラとインドラの物語。聖書やら古事記やらのミックスである神話世界をアニメ化したこのシリーズは『わんぱく王子の大蛇退治』的な感触もある。
 このほかにも様々なシリーズがあった(ちなみにオリジナルシリーズは安定して作画がいい)。黒津安明氏がディレクターを務めた『力-chikara-』は一見の価値アリアリ。
 そんな様々な迂回を経て、ついに疾風伝が終わる。
 終末にふさわしいOP、アジアンカンフージェネレーションの『ブラッドサーキュレーター』は素晴らしい曲だ。最初は黒津安明コンテに鈴木博文作画監督という往年の名コンビによる映像がついた。のちにカットの差し替えと入れ替えが行われ、なんとついに西尾鉄也氏が作画監督として参加。ナルトとサスケの人生にとって大事なキャラクターたちの笑顔が西尾作画で描かれている。ちなみに差し替えはもう一度行われるらしい。
 そう、NARUTOアニメといえば超・高クオリテイのOPとEDだ。現在公式HPではOP/EDヒストリーが無料公開中である。

 

 ということで何だかずっと見てきたNARUTOアニメの終わりがとても寂しいので、個人的にOP/EDの思い出と解説を今後ちょっとずつ書いていこうと思います。
 でもなんか、更にオリジナルを挟むみたいなこともありそうで怖い。それはそれでいいけどさぁ。

最近見た映画『A2』『クリーピー』『ヒメアノ~ル』『日本で一番悪い奴ら』

A2

 『FAKE』がやたらと大ヒットしている森達也監督のオウム潜入ドキュメンタリー映画完全版。オーディトリウムの夜8時の回、参院選開票日に見にいって来た。

 内容は大まかには知っていたけれど、すべてがこっちの予想を越えた。サリン事件から5年を経たオウム真理教の信者たちは、カルト宗教の印象にそのまま合致するようなものではなくて、世間から弾圧されてどこにも居場所がなくなってしまったまつろわぬ民のような存在だった。もちろん麻原が振り回した安易な終末論は警戒して然るものだし、サリン事件の被害は凶悪に過ぎる。でも宗教はもともと生活を律するためにあるもので、その独自のルールを度外視すれば、彼らは普通の、ちょっと色々と考えすぎるだけの人なのだと思う。

 彼らにとってはごく普通になっているオウムの生活は、浄土真宗でほぼほぼ無宗教な僕のような奴からすると確かにかなり秘教的で、森達也監督のカメラがその内部にあって内情を映してくれていなかったらじんわりとした恐怖をもたらすものだっただろう。

 だからオウムの住居の周囲に住む普通の人々は彼らを街から追放しようと必死になる。公民館や公園での反オウム集会、デモ行進、拒絶の意志を全く隠さないシュプレヒコール。今の言葉ならヘイトスピーチという言葉が当たりそうだけど、しかし現代のソレとは違って、その拒絶は無根拠なわけではない。何の前触れもなく都市部を襲ったサリン事件。化学兵器テロのトラウマがまだ残る五年後。確かに怖い。その街に住んでいたら僕もたぶん忌避してしまう。

 映画のなかで、自警団と化しほとんど右翼の街宣集団との区別がなくなった普通の人々の形相はオウムの人たちよりよっぽど人を殺しそうなもので、そのことが、観客である自分もそうなり得るという真理に気付かせる。条件さえ揃えば誰でも無限に暴力的になれるっていうのはつい最近19人殺した奴が示してくれたことでもある。

 ただその一方で、敵意を越えて仲良くなれることもある。オウムと近隣住民が、家の塀を越えて一緒に作業したりする。たぶん恐怖と希望はあっても絶望はない、そう思って参院選開票結果が既に出ている現代に戻ったのでした。

 

クリーピー 

 正気と狂気の境目はつねに曖昧で、しかしその境目はドス黒い瘴気を纏っている。西野家の庭の草、地下への入口。一番怖いのは狂気に身を浸すことじゃなくて、その境目を直視することなんじゃないかと思う。あの地下の、凡庸でクリシェに溢れたオブジェや色合いは何だろう。銀座でやってたシリアルキラー展でも思ったけど、狂気の行きつく先はもしかして果てしなく凡庸なものなんじゃないのか。

 西野だけではなく、実はすでに高倉もその境目に位置する者で、最後の康子さんの絶叫はその事実を直視してしまったことによるものじゃないかと思う。康子さんが西野の元へ行ったのは、狂気に完全に浴することで境目の不安から脱出しようとした(でも意外とチンケだった)からだとどっかで思っている。

 あと「君を守る」という巷に溢れてるけど実は最悪な男尊女卑センテンスを西島秀俊に言わせてからしっかりへし折ってるのが痛快だった。

 

ヒメアノ~ル 

 V6森田くんのもたついた粘膜質の暴力が濱田岳のセックスとオーバーラップする。暴力の本質、執拗な反復性をこのシーンが示している。映画において記憶に残る暴力、観る者の心身に残る暴力はつねに、音響に肉の感触があるものか、執拗に反復されるものである。北野映画の暴力に異様なリアリティがあるのはこのせいだ。たけしはモノホンのヤクザを知っている。

 イジメが死ぬほど残酷なのは、その暴力は振るう主体にとっては一時のものでも、振るわれた被害者にとっては未来永劫リフレインする地獄の記憶になるからだ。トラウマのフラッシュバックが生活の一部になり、生きることそのものが苦痛になる。ヒロミみたいなどうしようもないのはこのことにずっと気付かないままなんだろうな。更に干されて干からびればいい。

 ヒロミは何故かまだ生きているけれど、森田くんにとってのヒロミ、河島はもう死んでいる。しかし別に死んでるからって変わりはないのだ。破壊された自尊心も学生生活も帰ってこないし、フラッシュバックは止まらない。だから最後の「麦茶持ってきて~」が死ぬほど哀しくて、輝かしい。

 

日本で一番悪い奴ら

 綾野剛の長い手足。醤油味の顔。完全に吹っ切れたオーバーアクション。その菅原文太も喜びそうな勢いに惹かれた仲間たちが集まり、幸せな時間が続くと思ったら実はもう既に綻びは生まれていて、気付いたときにはもう終わっている。

 この印象は青春というやつだと思う。高校生やら大学生やらを描く青春映画には微塵の興味もない。その辺にあるものを何でわざわざ映画にするんだろう。青春が存在しなかったからこんなこと思うのかな。ただそんな俺でも『仁義なき戦い』のような青春映画は大好きだ。つまり遅れて来た青春の、遅れて来た終わりが大好きなのだ。

 そういう俺の大好きな青春は、やっぱりどこか間違っている。綾野剛演じる諸星もその仲間たちも一生懸命に周りのために働いている。しかしそれは周りの評価を得るためで、その行動の余波で何が起こるのかには目もくれない。この極端な視野の狭さはまさに青春そのものじゃないかと思う。部活(知らないけど)や不良な行動(もっと知らないけど)に熱心な人たちのナワバリ意識、あの「俺達の世界」という雰囲気。やっぱりヤクザはあの延長線上のものでしかない。おそらく警察も。

 幼さを然るべきときに開放出来なかったか、それだけでは足りないくらい無尽蔵に幼い人たちの、遅れて来た青春。その歪みを利用する奴らがいる。警察にもヤクザにも。そいつらが罰せられることはない。なんだかなぁ。